monologue: April 2005アーカイブ

韓国と中国

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最近のニュースで、あらためて感じるのはこの両国の“貧しさ”だ。それがすっごく残念だ。
その貧しさは、GDPや景気の善し悪しじゃなく、“民度”としての貧しさだから哀しい。
竹島問題で国民に賛否両論、つまりダブルスタンダードという「卑怯」を平気で唱える盧武鉉韓国大統領。
ある家具屋の“日本の国連常任理事国入り反対”の看板が引き金で、都市部全域で暴徒と化し日本企業を襲撃する国民に無対策な中国政府。
両国民のテレビインタビューで共通するのは、領土問題、教科書問題、従軍慰安婦ほか戦争責任を唱えることだ。
だけど竹島問題で云えば、両国間の話し合いでは決着が困難だから、国際裁判を提唱する日本政府に対し、拒否しているのは韓国政府だ。それほど自信を持って「自国の領土」を主張するのに、なぜ拒否するのか?
それは明らかに負けるからだ。国際法の観点からそれは明白なこと。
領土や教科書、戦争責任、ことあるごとに日本に異を唱える中国政府も同じことが云える。サッカーのアジアカップ中国大会で、国歌斉唱に日本はブーイングを受け続けたけれど、こんな行為は一部の途上国でしかあり得ない。
要は両国とも未だに“敵視政策”に基づく“敵視教育”を必要としているからだと思う。
敵視すべき国が無いと国民のモチベーションが上がらないのかどうか定かでないけど、日本人の僕にはそう映る。
日本も先きの大戦で、長崎と広島が原爆投下されたことは悲しい。
だけど日本人はアメリカを敵視政策することなく這い上がった。(安保の傘はあるんだけど)
しかもそもそもこの大戦は、アメリカのハルノートが事実上の宣戦布告にも関わらずだ。

もちろん、戦時中、日本が両国に対し及ぼした“罪”があることも少なからず理解しているつもりだし、一個人の僕ですらその国民として謝罪の念はある。
だけど、だ。
こうも事実上の敵視政策を続けるのはどうかと思う。
日韓基本条約や、日中平和友好条約は何なんだろうと思ってしまう。これらは国際連合憲章の原則に沿っている。それが遵守できないなら、本当の意味での先進国にはなれないと思う。
それはあまりにも哀しく、貧しい。

両国とも日本の技術協力やODAがなければ今の発展は無かったはずだ。
事実、韓国は1961年当時、フィリピンより北朝鮮より貧しかったそうだ。65年、日韓基本条約を結んだこの年、ベトナム戦争に参戦し、ベトナム特需で潤ったという。
なぜ同じ(或いはそれ以上の)ベトナム特需を享受したはずのフィリピンよりその後発展できたのか?詳しくは杉本幹夫氏のサイトを。

ヨーロッパの歴史も隣国同士が“血で血を洗う”ような凄まじさを繰り返してきたけれど、その怨念を引きずったら発展できないことを理解し、どうにか今のEUがあるんだと思う。
中東も中南米もアフリカも、それを拭えず、発展を拒むように“怨念的な戦い”を繰り返している。ニュース映像とかで、これらの国の一市民が幸せそうな顔で映ったことがあっただろうか。

東アジア、日中韓の命題は、アジアをヨーロッパ以上の結束力で結ぶことなはず。
戦争問題も領土問題も大事だけど、未来はもっと重要。度重なる“いざこざ”にいい加減区切りを付けて、本当の意味での“隣国”になりたいと願う。(ニュースがつらい!)

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