August 2005アーカイブ

41歳夏休み

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毎年のことなんだけど8月13日生まれの僕は、
誕生日は夏休みにあり、子供の頃は好きなあの子にも会えずつらかったけど、オトナになってからはみんなでどこかに行くのは必ず僕の誕生日が入る。
それも若い頃は独身者も多く、僕も友達も彼女が居たり、その友達も一緒に出掛けたり、そんな夏休みにみんなに祝ってもらうのは嬉しかった。
ところが歳をとると嬉しさよりなんだか気恥ずかしさもあり、
それは少人数の独身オヤジだけで出掛けるから一層その思いが強いのかもしれないけど...。
で、今年は館山の隣、白浜に行った。
12日から出掛け、あまり天気が良くなかったのでビーチにも行ったけどすぐにホテルに戻り、プールでファミリー旅行の子供に混じって遊んだ。(写真は夕方誰も居なくなったホテルのプール)
これといって何も無いんだけど、ホテルのメシがなかなか美味かったのは救われた。
(はじめてアクアラインも走ったし)
年に2〜3回、こんな旅行に行くんだけど、必ずみんな「次は彼女と!」と云う。
もちろん僕も。
誰も具現化できないことが「あるヤバさ!」に拍車をかけてる気がする。

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僕の感覚では去年ほどではないけれど今年も暑い。
子供の頃(30年前とか)は、夏休み帳だったかな?
まぁ夏休み用の日記帳(もちろん宿題のひとつ)があり、
これに気温の記載もするんだけど、その頃30度を超えたら「かなり暑い日!」だった気がする。(最高でせいぜい32度〜33度だったと記憶してるけど...)
その記憶がある程度正確だとしたら、フツウに30度を超え40度に迫る気温の近年はやはり異常といえる。都心に居るときはヒートアイランド現象のせいだろうか。とくに暑く感じる。
20年前辺り、そりゃ都心で遊んでて、もちろん夏だって遊んでて、近年ほど嫌な暑さを感じた記憶が無い。現実、平均何度上昇してるんだろう。
写真はクルマの外気温度計で、8月4日14時半、新宿で信号待ち時で撮ったもの。
トーゼン、道路上の温度は異常に高い。

LOHASという言葉を僕はこの春知ったんだけど、いわゆるLOHASな生き方をするべきなんだと思う。
新しい言葉に感化されてる感が恥ずかしいんだけど、恥じてる場合じゃない。
LOHASという言葉は置いといても、実際そういう生き方ができてることはカッコイイと思うし、考え方として今日的バランス感覚と思うしフツウに正常と感じる。
よく云われることだけど、地球は借り物だから返さないとね、ちゃんとした状態で。

解散・総選挙

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今回の解散は郵政民営化を国民に選挙で問う。
もちろん広義にはこれからの行政改革を問うわけだけだ。
衆院での造反〜参院での否決〜という流れがあり、解散がうわさされたころ造反した反対派自民党議員(亀井派中心)は「解散は無い」と思い、そう報道に応じてた。
ところが今までの総理総裁と大きく異なる”変人小泉”は予定通り解散に踏切り、これも予定通り造反議員に公認を与えなかった。
更にこれら造反議員の選挙区に“刺客”を送り込み、真っ向から対決姿勢を示した。
テレビの報道番組でもコメンテーターやゲストの政治家や評論家の一部のヒトは“やりすぎ”“冷酷”とか唱えていたが、今回の解散までの経緯で、ぼくは小泉さんの判断がすごくフツウで正常に思う。
郵政民営化を唱え総裁選を勝ち抜いたこと、それが党の公約にも関わらず反対票を入れた造反者に公認を与えない、公認が与えられてない異論無所属議員の選挙区に相対する立候補者を擁立する・・・
どう考えても正常だ。
ニュースで「冷酷で血も涙も無い」と論じる政治家も居たけれど、そのくらいの覚悟も無く党の公約に反対したのだろうか。
反旗を翻していても情けは欲しいのだろうか。
些細なことをとやかく言われるのが僕のようなフツウの国民には最も分り難く、その曖昧さが最も政治不信?いや、政治家不信を招くということが未だ分らないのだろうか。
別に僕は小泉シンパでもないし、手放しで賞賛するつもりなんて毛頭ないけれど、現実派閥も関係なく、言ったことをストレートに実践するから国民は小泉さんを信用するんだと思う。
土壇場で、「派閥やその他人間関係的事情で政策を曲げない初めての首相」。別の言い方をすると「嘘をつかない首相」と国民は思っていると思う。
つまりみんな「国政を担う偉いヒト」に何度も嘘をつかれ、曖昧な訳の分からない言い訳を最もらしく唱えられたり、なんだかミョーに偉そうないい方だったり、そーゆーことにうんざりと疲弊もしてるし呆れてもいる。
なにも国政ではなく身近な自分の周りでも、誰だってそういうヒトが嫌いなんだから。

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先日、久しぶりに下駄箱を整理した。
つまり最近履いてない靴を捨てたということ。
洋服でもそうだけど、ボロになって捨てるのではなく、デザイン性とか流行とかもあるけれど、限りあるスペースが溢れてきてのこと、もある。
パトリック・コックス、アルファンゴ、トレーディングポスト、42nd、WFG、アローズなどなど、11足の革靴を捨てることになった。
これらを詰めたゴミ袋を見つめ思ったのは、「中途半端に選んだものが多いなぁ〜」だった。

これらのブランドに(トーゼン!)罪は無く、自分の「選び方」に問題がある。
買う時に「まぁいいか」だったり、「欲しいものとはビミョーに違うけど○万円安いから」とか選んだものだ。
もう分っているはずなのに、靴屋さんに何軒も足を運ぶのが億劫だったりすると、とくにこういう中途半端なことになる。逆に10年以上前に買ったものでも、本当に気に入ったものは捨てられない。
靴も服も僕にとって「どうでもいい」ものではなく、好きなもの。
買うときに自分がそれを纏った姿をイメージするのも楽しいし、単純に好きなものを選ぶのは楽しい。だからこそちゃんと選ぶべきだった。
「もったいない」思いも然りだけど、何よりも気になるのは中途半端な選び方をした、中途半端な自分自身だ。
気に入って買うからこそファッション。中途半端こそが無駄だ。

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