この歳(45)にして念願の子供が生まれました。
男子で2972g、体長50cmでした。
結婚したのが去年だから順調のようだけど、
これまでいろいろ大変でした。特に妻は苦労の日々でした。
陣痛が始まって苦しむ妻、壮絶でした。
分娩室に移り、更に壮絶。
苦しむ妻に何もできない自分。無力感でした。

でも生まれ、数秒後に聞いた泣き声は忘れないだろうな。
涙が出た。
僕に似ていると思った。
分娩台で生まれたばかりの子を抱く妻。
あれだけ苦しんだのに数分後に嬉しそうな妻。
これも泣けた。

カンガルーケアということで僕も抱いた。
いろいろ思いだし涙が出た。

元気に生まれ、妻も元気で、それがスッゴク嬉しかった。ホッとした。

「薫」と命名しました。
薫風のごとく爽やかで潔くあってほしいという願いです。
僕も人並みに生まれた子供に願いを込めるのです。
どう生きるかは本人次第ですが、親は願うんだね。
僕が生まれたときも親は苦しみ願ったんだろうね。
好き勝手やってた若い時を思い出し、
ちょっと済まなかったと思った。

この歳までに何人も親バカを見てきて、
呆れることはヤマ程あったけど、それが分かる。
やっぱ可愛いね!ヤバイ!
最近はひとりで乗ってることが殆どだ。
もちろん誰かと走った方がいろいろと楽しいことはあるんだけど、
ひとりはひとりで悪くない。これはこれでいい。
誰かと走っていると、話したり、ちょっと競争したり、ひとりじゃないことが単純に楽しいけど、
1人で走ってると、鳥や虫の声に季節のことをあれこれ思うことを擽られたり、
「ガキの頃こんな漕ぎ方もしたな」とかやってみてその頃を思い出したり、
何となく昨今の出来事をいろいろ思い浮かべ考えたり、
仕事のことを考えたり、自分を見つめることがいっぱいあったりする。
自転車といってもロードバイクは軽く流しても25km/hの速度だから、
それなりに早く景色は変わっていくし、接地面が指一本分ほどの細いタイヤや、
緻密で優れたパーツの全てが自転車と思えない静粛性を実現し、
ペダル一漕ぎが考えられないほどダイレクトに推進力に転化される。
文字通り空気を裂き、風と交わり軽快に疾走する。
そんな心地よさや、体に少しずつ重なる負荷も知らぬ間に大きい。
それでもどうにか前に向かおうとする気持ちになる。
よく言われることだけど、ロードバイクとスポーツカーはよく似ている。
自転車であれバイクであれクルマであれ、早さの追求で生まれたものは全く便利じゃない。
でもヒトを今より前により早く進め、それは単に物理的なことじゃなく、
人の気持ちを前に進める装置な気がする。

北京オリンピック云々開幕の日に書いたけど、もう中盤を過ぎ、ここまでで思うこと。

基本的に僕はスポーツ観戦が好きだ。だからオリンピックもかなり観る。その中で改めて感じるのは、オリンピックって胡散臭いものに陥ってると思う。恐らく僕以外にも多くのヒトがそう思っているのではないかと思う。
なぜなら、もちろん開催国として恥ずかしくないよう中国の各選手はこの日をターゲットにデリケートな調整をしていることだろうけど、どうも審判のジャッジが開催国に傾いているように思えてならない。「オリンピックとはそういうものだ」というような記事を読んだけど、そもそもそれを「そういうものだ」ということが、たとえ多くのヒトが「オトナ」ぶって納得を装っても、僕はやっぱり納得できない。だって「そういうものだ」と説明し、理解できる子供は居ないだろうか思うから。
オリンピックという世界最大のスポーツイベントを利用して、開催国は国を挙げて選手の強化やプロパガンダ作戦に奔走し、世界へのイメージアップを図り、国民を煽る。こういうことが気持ち悪い。
そんなことより事後の旅行者が「北京をどう感じるか」の方がはるかに大事だよね。